イスラエル 「最後の晩餐」の部屋に行ってきた話や観光スポット

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jersalem18 イスラエル

みなさん、こんにちはこんばんは
三大一神教の聖地を巡った話を3回に分けてお伝えしましたが、もちろん他にもエルサレムでの観光をしています
そんな話

最後の晩餐の部屋があった

シオンの丘にあるダビデ王のお墓がある建物の2階にあります
入り口には最後の晩餐の部屋と看板がありました

「中世に建てられたホールでキリスト教の伝統によるとイエスは十字架刑にされる前に弟子たちと過越前夜に食事をした」と記載されています

過越(すぎこし passover)とは、ユダヤ教の宗教的記念日で、ユダヤ暦のニサンの月の15日(グレゴリオ暦の3月末から4月初頭の満月の日)だそうです

え?中世に建てられた部屋なの?って思いませんでした?

614年にペルシャ軍の侵入により、多くの部分が破壊され、
十字軍がエルサレムを占領した後、1176年にダビデ王の墓が建物の下階に祀られて上の層は修道士によって現在の姿に再建された
その後、1333年から1552年までのフランシスコ修道会によって管理されたが、オスマントルコ帝国が統治するようになり、建物の上部がモスクに変えられたんだと
時は過ぎ、1948年のイスラエル建国後、再びローマカトリック教会の所有に戻ってきたそうです

要はローマ・カトリック教会(西方教会)の見解ではこの部屋が最後の晩餐に使用された部屋だと言うことだと個人的解釈しています
東方教会では同じエルサレムにある聖マトフェイ修道院の部屋が最後の晩餐に使用した部屋となっているそうです
(聖マトフェイ修道院は改修工事のため閉館していました)

とりあえず中に入ってみます

毎日8:00-18:00まで開いており、入場は無料です

2階へは階段で上がり、通路を渡ってすぐの部屋となります
そして、衝撃の光景が

めちゃくちゃくちゃくちゃに混んでます
最悪でしょう、これはダメです
マジで人が多過ぎ
どこを撮っても人が写り込みます
どーしよーも無いです

いや、諦めたらダメです
2つのツアーがいっぺんに押し寄せているだけのようです
去るのを待って、15分の時が経ちます

そして誰もいなくなった

誰もいない部屋はこんな感じです

誰も居ないのに斜めに撮影してしまっている悲しさ
奥にも何かの部屋があるようです

正直な話、ダヴィンチの「最後の晩餐」のイメージが強過ぎて全く別の部屋だと感じました

ダビデ廟 King David’s Tom

最後の晩餐の下の階にあって、ここも入場は無料です
男女で入れる部屋が分かれており、中に入る者にはユダヤ教徒が被るキッパーの紙製が配布されます

石棺はダビデの星が刺繍されたビロード布に覆われている
今から3000年も前の王の墓がこんな場所にあるとは信じられないけど、信仰心がある方々の思いとは素晴らしいものです
ちなみに
ダビデ王は紀元前1000年頃の古代イスラエルの王様です

ダビデ王のお墓の入口には竪琴を持っているダビデ王の像があります
羊飼いの少年であったダビデは心の病をわずらっていたサウル王を竪琴で癒したとされているので竪琴を持っているそうです

聖母マリア永眠教会 Dormition Abbey

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ダビデ廟の裏手にある、マリアさんの永眠像が安置している教会
1910年に10年がかりで完成したんだと

教会内に入ると一階は聖堂となっています
マリアさんと使徒たちのモザイク画が全方向にあり、窓にはステンドグラスがはめ込まれています

地下の聖堂に降りると永眠するマリアさんの像が横たわっています
でもさ、
また中国人の団体とかぶります
大声でね、ワーキャー言って怒られてましたよ
ボッチですけど、現地の方から見たら見た目はそんな変わらんからグループの1人と思われちゃってるよ
悲しいです

iPhoneで撮影

ベンチに座って去るのを待ちます
iPhoneとgoproで撮影すると画角と色味が違って面白いです

GOPROで撮影

ようやく厳かな雰囲気に戻り天井画とマリアさんの石墓をじっくりと眺めます

マリア像真上の天井画

キリスト教では、古代においてはマリアはあまり重視されてこなかったんだとか
新約聖書にもマリアの記述がほとんどないそうで、ローマ帝国を倒したゲルマン人がキリスト教を受け入れたときに、ゲルマン人の地母信仰がキリスト教に影響を与え、聖母マリア信仰が広がっていったそうです

オスカー・シンドラーの墓

映画「シンドラーのリスト」のシンドラーさんのお墓がイスラエルにあると知り訪問してみようと思ったんです
ドイツ人のシンドラーさんは工場を経営していて、働いていたユダヤ人をナチスから守った方です

グーグルマップでは墓地の中にあるシンドラーの墓が検索できます
が、
ナビをしてもらうとムチャクチャ怪しい道に案内されます
もう迷子です
丘の上からあそこらへんかなぁと模索していると外人さんから「シンドラーの墓がどこかわかるか?」と聞かれましたが、「グーグルマップで探してるんやけどたどり着けないんや」と答えます
で、一緒に探しますがどうやら墓地が閉まっているようで諦めました
時間的な問題があったのかもしれません

何方かお墓まいりできた方はどうやって辿り着いたか教えてください

ちょうど声をかけられた場所にポラロイドの枠があったんで、枠だけ撮ってたんですけど、対面の丘を見てみろと言われました

1949 armistice agreement line

1949年にイスラエルが4カ国(エジプト・シリア・レバノン・ヨルダン)と第一次中東戦争で休戦協定を結んだ際にできたボーダーラインだそうです

これを見ると中東の戦争が絶えないことを想像し、街中にいる衛兵がライフル銃を持ち歩いていることも相まって、自分は紛争地帯の近くにいることを改めて認識します

宝石屋とサングラスが欲しい青年

エルサレムにある旧市街に入るためには門をくぐる必要があります
7ヶ所?だったか、からしか中には入れないのです
中に入ってから外に出るには迷子になります

ピントが合ってない

所狭しと路地にはお土産屋が立ち並んでいたり、宝石屋があったりして
迷路のようになっています
道を尋ねると店の中で休憩していったら良いと店内でお茶を飲むと宝石を買わされそうになります

でも、ここの店主は兵庫県の神戸市に住んでいたことがあり、阪神淡路大震災の悲しい出来事を覚えておられました
神戸出身ですと伝えると、中学生だった当時の話をさせられました
まさかイスラエルでユダヤ人の方に震災の話をすることになるとは夢にも思いませんでした
震災を乗り越えてイスラエルに来てくれたことを嬉しく思うとネックレスを貰いました
なんでかって?
知らんがな

はたまた言われた通りに路地を進んでいると迷子になります
出口が本当にどっちにあるのかわからんくなる
2人の青年に尋ねると折りたたみ式レイバンのサングラスに興味津々
いくらだったか尋ねられて、多分200USドルくらいじゃないかと答えると
300ドル払うから譲ってくれと言われます
もちろん拒みます
ピン札でしたし、500ドル払うと言い出します
絶対ニセ札やろと断ります
そしたら素っ気なく出口はあっちだと言われてしまいました

以上、エルサレムの町歩きでした
ちなみにエルサレムはジェルサレムって言うそうです

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