リトアニア カウナス杉原千畝記念館に行って来ました

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caunas23 リトアニア

みなさん、こんにちはこんばんは

本日はカウナスにある杉原千畝記念館に訪問した

そんな話

杉原千畝記念館

場所

カウナスのバスターミナルから徒歩で行ける場所にあるようです
グーグル先生を頼りに歩いていきます
何か住宅に入っていきそうな階段を登りそうです
これは怪しい
迂回しようかな?と地図を見るとグルっと回る道を発見したのでそっちにします
するとですよ
こんな階段を登って行くことになります
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道は繋がっているので進みます
するとですよ
住宅地です
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そんな住宅地を進んでいるといきなり現れました
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入り口へは下の通路を入っていきます
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するとこのドアがあります
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インターホンを鳴らしても反応がありません
思い切ってドアを開けてみます
普通に開きました
入館料が5€
営業時間はシーズンによって違うようです

バスターミナルからなんかやんかで30分弱かかりました
でも地図で説明している紙を見ると最初の道で合ってたようです
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9分で来れるんだってば

命のビザ

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館内に入ってすぐに飾ってある「命のビザ」

簡単にはなりますが、「命のビザ」と呼ばれる経緯を紹介します

1939年8月28日のリトアニア赴任直後の9月1日にドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が開戦
同月にソ連がポーランドに侵攻し、1940年6月15日リトアニアには進駐することとなる
ソ連が各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を促したためユダヤ系難民たちは、まだ業務を続けていた日本領事館に名目上の行き先オランダ領などへの通過ビザを求めて殺到
1940年7月18日の早朝ポーランドからのユダヤ系難民が公館を取り囲むように押し寄せていたそうです

ユダヤ系難民の方々が日本を経由地としてアメリカに逃げるためにビザ発給が必要だった
ドイツが侵攻している西のルートは閉ざされており、更にトルコがビザの発給を中止されたためパレスチナへのルートも閉ざされた、残るルートはソ連からシベリア鉄道を利用し船で神戸や横浜を経由してアメリカに行くルート
その為に必要な日本へ一時入国するためのビザが必要となった
このビザが発給されなければナチスドイツに強制連行されて射殺されてしまいます
当時の日本はドイツと同盟国だった為ナチスドイツのユダヤ人政策に反する行為となるので悩んだそうです

外務省からは「行先国の入国許可手続を完了し、旅費および本邦滞在費などの携帯金を有する者にのみに査証を発給せよとの発給条件厳守」との指示があったそうです
が、杉原氏はすぐに返事をせずタイムラグを作り「命のビザ」の発給をする事となった

万年筆が折れるほどのビザを書いて腕が上がらないほどだったそうです
ゴム印で簡略化する方法を助言され、取り入れることによってビザの発給を続けた
(写真のように日付等を書き込むだけにしたそうです)

ベルリンへの異動命令に背けなくなる日
ベルリン行きの列車が出発する直前まで発給を続けたそうです
総数は約6,000人に発給となった

カウナス駅の構内に杉原さんのプレートが作成されたのはこういった経緯があったからだそうです
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館内

館内は一階と二階があり当時雰囲気を残しつつ何部屋かは解放されています
15分程度のビデオ映像を見ることが可能です
当時の自宅を記念館としているので少し広めの一戸建て住宅をイメージしてもらえれば良いと思います

入ってすぐの部屋には当時の部屋そのまま?にビザの発給をしていたであろう机があります
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座って良いそうです
でも写真を撮ってもらう人が居ません
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机上には杉原さんがされていたであろう仕事の雰囲気を再現されています

この部屋には外務省からの電報が残っています
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別の部屋には「命のビザ」を発給されて命辛々逃げのびた方達による証言が展示されています
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神戸を経由して世界中へ逃げのびたルートが紹介されていました
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庭にはリンゴの木が植えられています
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リンゴはいただくことが可能です
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パネルなどをじっくりと読んでも1時間半程度でした
日本人の方が何名か訪れていましたが、館内はゆっくり過ごすことが可能です

そうです
日本の方がいらっしゃったんですよ
お願いするしかないですよね
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机に座って撮影していただきました

その後の話

杉原千畝氏のその後とは、
1968年にイスラエルから連絡がある、それは1940年に発給した方からの連絡であった
命のビザの発給を受けたことによって生き延びることが叶った方がイスラエルにたどり着き杉原さんへの連絡手段を入手し、連絡ができたそうです
再会することができたそうです
1985年に名誉賞「ヤドバシェム賞」を受賞
(日本国内で当時の事実が知られると共に国賊扱いされ批難された日があったようです)
1986/7月31日に入院先の鎌倉で死去
2000年になってから日本政府は公式に名誉回復を宣言することとなる

また、東日本大地震の折にユダヤ人の方から「今こそ杉原千畝の恩義に報いる時だ」と義援金を募る基金を設立してくださったそうです

以上、カウナスの杉原千畝記念館の紹介でした
行ってみたいけどリトアニアには中々渡航する機会がないと思っている貴方、
岐阜県にも記念館があるそうです
ぜひ訪問してみてください
自分も岐阜県に行く機会があれば行ってみたいと考えています
若しくは、唐沢寿明さん主演の映画を見てみるのも良いかもしれませんね
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